2014/04/24
4月20日の日曜日に小田原駅出発の日帰りバスツアー「高遠小彼岸桜と光前寺しだれ桜」に参加してきました。
これは「富士・箱根・伊豆」から少し離れてしまいますが、桜が綺麗だったので紹介することにしました。
朝5:30に起き身支度を整え6:15に家族4人で我が家を出発。途中朝ご飯にするお弁当をコンビニで買い小田原駅に6:50に到着すると、バスはもうすでに準備ができていて何時でも出発できる状態でした。
我々家族の4人を乗せるとバスは途中経由地の秦野駅に向かって出発です。30分ほどで秦野駅に着き他の参加者を乗せると、一路信州諏訪に向かって走りだしました。
最初の目的地は長野県伊那市にある高遠城です。ここの桜は「天下第一の桜」と称されており、「桜の日本三大名所」にも数えられています。
が、その前に高遠城でピクニック気分で食べる昼食のお弁当をバスに積み込みます。そのためバスは一旦長野県諏訪湖で中央高速道路を降り、ドライブインに向かいます。
ドライブインに着いてびっくりです。観光バスの多いこと!みんな桜が見たいのです!!
いよいよ諏訪インターチェンジです。ここで高速道路から降ります。
お弁当を調達するドライブインの駐車場です。もっと多くのバスが並んでいました。
凄いですね!私たちはトイレを借り休憩しただけですが。
お弁当を積み込んだバスは「高遠城」を目指して再び走り出します。
この写真は諏訪を後にしたバスの車中から諏訪市内を撮ったものです。車内からの撮影でしたので少しピンボケです。
そしてついに「高遠城」です。運よくすんなりと駐車場に入れました。
バスが多いときには駐車場に入るだけで何十分も待つことがあるそうです。
家族4人で1時間ぐらい歩きまわりました。
高遠城は、三峰川と藤沢川に削られた河岸段丘上の突端に位置しています。
段丘上から見れば平城のように見えますが、他の三方から見ると河敷から80mもの高い丘の上にある山城の姿をしているため、一般的に平山城と言われています。
高遠は古くから諏訪氏の勢力圏にあって、南北朝の頃よりその支族である高遠氏が一円を治めていました。
しかし、ここが諏訪から伊那へ抜ける交通の要衝であり、南信濃から駿河や遠江に進出するための重要な地点であったことから、天文年間(1532~1555)に武田信玄の侵略に遭い、その旗下に属しました。
高遠を手に入れた信玄は、高遠城の拡張改築を家臣に命じ、天文16年(1547)に「鍬立て」を行っています。
この築城に関わったのが山本勘助であると伝えられています。
江戸時代には大規模な改修がなされているため、当初信玄が改修した城の姿は分かっていませんが、各曲輪を隔てるためにめぐらされた深い空堀や、城内に残る土塁からは、地形を巧みに利用した戦闘的な城の姿をうかがい知ることができます。
武田氏による高遠支配は35年間続きましたが、高遠城が南信州の拠点として重要視されたため、城主は諏訪(武田)勝頼や仁科五郎盛信など信玄の近親者が就いています。
中でも天正10年(1582)、伊那谷に攻め入った織田軍と戦った仁科五郎盛信の姿は後々まで語り継がれ、盛信の流した血は城内に植えられているコヒガンザクラの赤みにもなぞらえられています。
明治5年、新政府の手によって城内の建物は民間に払い下げられましたが、城跡には、旧藩士らの手によって「桜の馬場」から桜が移植され、明治8年に公園となりました。
公園北口には昭和11年に高遠出身の池上秀畝・小松伝一郎・広瀬省三郎・矢島一三の四氏が建て、町に寄贈した国登録有形文化財『高遠閣』があります。
その他公園内には太鼓櫓・当時の空堀や土塁、無字の碑を始めとした数々の碑文等があり古きを偲ぶことができます。
桜の時期が過ぎても初夏の新緑、秋の紅葉等四季折々楽しむことができます。
[伊那市観光協会の資料より]「高遠城址公園」を堪能した後、今度は「光前寺」を目指してバスを走らせます。
光前寺には有名な「しだれ桜」という桜があります。この「しだれ桜」とは枝が柔らかく成長するに従って下に垂れてくる桜の種類を言います。
このあたりの道を「水仙ロード」と呼ぶようです。
本堂に続く参道です。両側の杉並木が神秘さを醸し出しています。
ここ「光前寺のしだれ桜」を楽しんだ後、バスは帰路につきましたが、家に着いたのは夜9時を回っていました。
しかし、桜はいづれも見事なもので来年また行ってもいいかなと思える良い日帰りバスツアーでした。
※ お出かけ、ご利用の際は、事前に最新情報をご確認ください。